'10. 3. 5
霧、そして、雲海 Fog and the Sea of Clouds
'10. 3. 15 掲載 '10. 3. 19 写真追加
2月終盤はケム散布が激しかった。 24日は朝から、今までに私が経験したことのない、煙の粒子のような広範囲な濃霧 (?) が発生した。空気はひんやりしていたので、いちおう霧のようではあった。しかし、上空は晴れており、太陽が照って気温が上がっても消えなかった (右画像は当日10時20分の富士西麓)。 濃霧というよりはむしろスモッグ (smog) あるいは「煙霧 (※)」と言う方がより正確だろう。 「煙霧」は気象用語としては「細かい、乾いた粒子」の場合に言うらしいが、原因を工場の煤煙、粉塵、また吹き上げられた塵埃など人為的なものとするようだ。もちろんそこには、今最も有力な「ケムトレイル」は含まれていない。 そして25日は東京でも濃霧が発生し、羽田空港で欠航があったと報じられた。私はとっさに同じ「煙霧」だと思った。その後の報告ではどうやらかなり広範囲な現象で、別の日も含めると日本の各地での出来事だったようである。どう観測したら、数日にわたって広範囲な「煙霧」が発生することになるのだろうか? そして、この日から、私同様、呼吸器官や皮膚を含む何らかの身体異変の生じた方がおられたはずだ。 3月に入ると雨や曇りが続いた。 2日は濃霧であった。この日はいわば真正の霧である。湿った地面から蒸気が立ちのぼる光景も見られた。 車でこの濃霧の中を走るとフロントガラスに細かな水滴が付着し、ワイパーが必要だ。それは24日の白い「煙霧」とは明らかに異なる。 ちょっとした条件の違いで霧 (雲) も様々な様相を呈するとは思うが、それとは別に、2月24日の「煙霧」と3月2日の濃霧には違いがあった。それは「臭気」である。 2月24日の「煙霧」は、たびたび遭遇する薬品のような、何かが焦げたような異臭がした。3月2日ではそのような臭気は感じられなかった。 さて、下に掲載する3月5日は、前日から朝方まで雨が降り続き、一時かなり強かった。久々の、大気を洗うような長く強い雨だった。早朝に雨は上がり、晴れたが、相変わらずケム散布は続けられ、大気は白みがかっていた。そして、富士宮へと南下する途中で「雲海」を見た。
3月に入ると雨や曇りが続いた。 2日は濃霧であった。この日はいわば真正の霧である。湿った地面から蒸気が立ちのぼる光景も見られた。 車でこの濃霧の中を走るとフロントガラスに細かな水滴が付着し、ワイパーが必要だ。それは24日の白い「煙霧」とは明らかに異なる。
ちょっとした条件の違いで霧 (雲) も様々な様相を呈するとは思うが、それとは別に、2月24日の「煙霧」と3月2日の濃霧には違いがあった。それは「臭気」である。 2月24日の「煙霧」は、たびたび遭遇する薬品のような、何かが焦げたような異臭がした。3月2日ではそのような臭気は感じられなかった。
さて、下に掲載する3月5日は、前日から朝方まで雨が降り続き、一時かなり強かった。久々の、大気を洗うような長く強い雨だった。早朝に雨は上がり、晴れたが、相変わらずケム散布は続けられ、大気は白みがかっていた。そして、富士宮へと南下する途中で「雲海」を見た。
標高600m地点はすでに雲海の中。空気は白濁し、その中を白い雲が流れるのを見上げる。 標高500mを下った頃、大気を確認しようと車の窓を少し開けると、あの薬物のような、焦げたような臭気が飛び込んできた。
(10:37〜10:39)写真3-1は、市街地に入った標高約200mの地点、写真3-2はさらに下った標高約150mの地点である。 富士宮市街はこの900mほどの厚みのある雲海にすっぽりと覆われている。これは逆転層といわれる現象の一つ(ケム散布が関与する逆転層)とも考えられるだろう。 この近辺には白煙を上げる工場がいくつか見える。そして、その排煙はこの層に溶け込んでいる。
富士市は田子の浦港のヘドロ公害問題で有名だが、富士市を含む駿河湾沿いは製紙工場が集中する地域であり (全国でトップ。阪神地区がこれに次ぐ)、その他、様々な工場も多い。広範囲なケム散布にこれらの排煙や車の排気ガス、農薬散布などが加わると、雲海をなすような、この一種の逆転層は濃厚な毒ガスと化す。おそらく東京やその近県、またその他の地域も似たり寄ったりだろう。 人々に加害する目的で意図的に行なうケム散布が重罪であることは言うまでもない。しかし、地球汚染につながるモノの消費、それを助長する計算された経済の暴走──それらを黙認し、時にはそれを求めてきたわれわれ自身にも同質の責任があることを認めざるをえない。それは医療なども同様である。ただし、それらは気づきや学びとはなっても、つけ込まれる「弱み」とは必ずしもならないことを肝に銘じるべきだろう。
※注 「煙霧」という言い方は、農業、廃棄物産業、家屋の消毒業などでは「煙霧機」で馴染みがあろう。 農薬を水で薄めて撒く「噴霧器」ではなく、単独でもしくは特殊な溶剤と混ぜ、超音波や電磁波、熱などによってきわめて微細なミストや煙にして、薬物の濃度が高いまま (=毒性が強いまま) 散布する機器である。この技術としては、もともとドイツの毒ガス兵器を応用したという農業機器を私は知っている。また、近年では家庭電化製品レベルでも出回っていくらいで、簡易なものは私も持っている。 濃い毒をミストや煙にして少量使用し、空気で希釈するというコンセプトである。ビニールハウスなどでは、濃い毒としての煙が長時間滞留してすみずみまで行き渡り、効果が高いという。近年、導入ケースが多い。 煙霧機の場合、煙にする場合は数百度の熱に瞬間触れさせるのが特徴だが、近年は、低温 (常温) 煙霧機といって、高周波で煙のようなミストをつくることもできる。 別の分野では、加湿器やミスト機も同様な仕組みのものがある。水が細かいミストや水分子になって放出されるのだから、煙霧機のイメージも持ちやすいはずだ。 これらは軍事技術の応用である傾向が強いと思われる。そして、これらの農機具は、愚かなことに、いつでも武器にもなる。元来、農事にこのようなものはまったく必要ないにもかかわらず……。 近年のものとしては、狂牛病の牛の頭も分子レベルまで分解できる装置もあるようだ。この類いの装置では、毒物でも放射性物質でも、何でもかんでも、ナノレベル、分子レベルにまで分解し、空中放出が可能になるらしい。米国製のこの装置は今から4、5年前、ある業界から国に使用認可の申請が出されているはずだが、その後どうなったか詳細はわからない。 これらの類いの技術が航空機に導入され、ケム散布として応用されているというのはあまりにも理解しやすい。ケム散布としてのジェットエンジンの熱や構造の在り方は「煙霧機」に似ている。そして一方では「煙霧」という気象用語に惑わされている場合でもなかろう。
想念は現実をつくる……これは現実レベルで真実である。 ケムトレイルに対しては、私は、大気の害が少しでも減じるように想念を送る。そして、同じ思いを抱く人々の心とも響いてくださいと祈る。 そのような想念は現実を変える。また、そうしなければ、人々や地球自身の身体への影響があまりにもひどすぎる。 頼る心は何も生まない。気づいた人々の、あらゆる怖れと憎しみから解き放たれた勇気ある意志、天意に直結しようとする切なる想いが、ものごとの始まりとなるだろう。 究極の答えは、常に自分の中にある。